介護の現実

非常識な日常が・・・認知症の介護の日々に負わされるものです。

そこが、常識の通用しない世界だということは、介護した経験がないと分からないものです。
今回の最高裁の判決は、その部分に少し踏み入れてくれた気がします。運よく、無事に介護を終えた人間ですが、御礼申し上げたいと思います。

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赤と黄

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アルコールに弱い人の話で、これほど??な話は聞いたことがありません。

個展の会期中に、マティスの話が出て、その人はマティスの赤と黄色の世界を実際に体験出来るというのです。

小ジョッキ1杯beerか、2杯beerbeerくらいが限度らしいのですが、beerbeer飲むと光の当たる明るい所は黄色に、影の部分は全て赤となり、やがて、人も何もかも全てのものがシルエットに、ただ黄色の部分だけが浮き出るように見え・・・

さらに、症状が進むとグレーの砂嵐が上から降りてきて、最後にはブラックアウトすると言います。砂嵐のときにベンチなどで休むことが出来ると、しばらくして、辿った道を逆行しながら元の色の世界へ戻れるらしいので、羨ましい気もしましたが・・・2杯が限度というのは、私には無理かなと・・・

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中島和長のアートスタジオ 2012年 11年 10年 09年 08年サロン・デッサン招待(パリ - グランパレ) 現代美術小品展(プジョー文化センター ル・カルドール画廊など) 1999年 NY 個展 1998年 パリ個展

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Working Women

ある女性がいなければ、このことには気づかずに終わっていたのかもしれません。

それは仕事に関してなのですが・・・

これまで、私は、男が仕事に対して努力することを、自身も美談として考えているところがありました。

しかし、男の努力というのは、高々仕事についてのみすれば良いことですから、性質も単純で集中することも可能、従って、当然成果も生まれやすい状況にあり、仕事上で、何かを得たからと言って、余り誇れたものでもないのかもしれません。

女性の場合は、そう単純なものではなく、仕事以前に様々な問題と遭遇することがあり得ます。もしも、その人がクライアントに取って魅力的となれば、プレゼンテーションの途中で誘われることも起こり得るでしょう。

如何に収めるか?不都合なくやり過ごすか?そうした、仕事の本質とは入れない事にさえ神経を使わなければならないのが、女性の恒常的なものだとしたら、私ならば、そこから逃亡しているでしょう。ですので、それを日々こなしている女性には敬意を払わなくては行けない気がしてきました。

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中島和長のアートスタジオ 2011年 10年 09年 08年サロン・デッサン招待(パリ - グランパレ) 現代美術小品展(プジョー文化センター ル・カルドール画廊など) 1999年 NY 個展 1998年 パリ個展

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認知症介護の理由

母が他界して、1年が過ぎました。

その間に、私が1人で認知症の母の介護をしたことに対する賛辞が多く寄せられたのですが、私自身は、自分がその賛辞に値するほどの事をしていたとの実感はないので、それを、どこか他人事のように聞いている節があります。

かって、極親しい飲み仲間の1人が、『冷たくて、ドライ・アイスのような男だ。』と、私のことを形容したことがありますが、そんな自分が、何故、認知症を患った母親の介護が出来たのか?自身でもナゾなのです。

時が経過し、幾らか、その事を考える余裕が出来ました。

そして、改めて考えてみますと、その1番大きな理由が、自分が幼少期に母親にサポートしてもらっていた事へと行き当たります。

幼少期の私は、タイミングの悪さも手伝って、結構、あちこちで問題を起こしていました。自宅近くの小さな紡績工場の窓ガラスを割った際も、惣菜屋の店舗前に出ていた桶に手を突っ込んで中の商品全部を買う羽目になった際なども、母親に、その事を伝えると、激怒されることもなく、『しょうがないわねぇ~』と、困った表情で言われるだけでした。家事を途中にした母親が、私を伴い先方に丁寧に謝り弁済している姿を見ると、子供心にも、すっかり迷惑かけたという気持ちになり、その時は深く反省しましたが、数ヶ月もすると、それを忘れて、また新たな次の問題を引き起こす有様でした。

私の介護には、そのときの恩返しという側面が、多分にあった気がしています。ですので、母の多少の無理難題は当然と思えていたかもしれません。

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中島和長のアートスタジオ 2011年 10年 09年 08年サロン・デッサン招待(パリ - グランパレ) 現代美術小品展(プジョー文化センター ル・カルドール画廊など) 1999年 NY 個展 1998年 パリ個展

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認知症の介護 (12)

1年は、52週・・・

毎年50人前後の人が、認知症・自宅介護の精神・肉体両面からの負担に耐えられず、衝動に走るケースが生じているようです。

1週間に1人の割合で、何らかの問題、もしくは事件を起しているということですが、実際の介護トラブルが、これほど頻度が高いとは思いませんでした。報道されるトラブルは、ほんの1部のようです。

こうした悲劇的状況下でも、自宅介護を優先し、公の介護施設整備に余り感心を示さない行政の姿勢には、少々疑問を覚えてしまいます。

自宅介護に携わるということは、最悪、生活の糧である自身の職さえ、やむなく辞さなければならないという危急性が起こり得ますが、何らアドバイス無しに、それら全てを、自己責任で行え!というのは、功利主義の行き過ぎではないかと思えてくるからです。

そんな中で、先日、NHK教育チャンネルで認知症に関する特集を放送していました。その内容は、珍しく、患者、及び、その介護者に関し、バランス良くレポートされていて、アドバイスに関しても、とても丁寧で参考となるものと思い、共感を覚えました。

認知症の症状改善薬に関しましても、個人個人それぞれのケースで投薬の量を調整する必要がある事や、認知症患者側の心理に寄り添う形での介護の提唱などは、私が経験したものに近いと思えました。しかし、それを理解していても介護というのは大変な作業で、その作業に嫌悪感を持ってしまうのも仕方ない事と思うのですが、ある瞬間から、その絶望的な作業に光が射してくることがあります。

それは、被介護者が、自分が世話にならなければならないと自覚した時だと思うのですが、日常の介護に関して、それまで無かった感謝の言葉を言われるようになります。それまでのトゲトゲした毎日から解放され、天国のような日々が訪れます。私の場合は、幸せなことに5ヶ月間ほど、それが続きましたので、それまでの嫌な事は全て帳消しになりました。やがて、母は、おそらく本人にとっても最も良い状態で旅立って逝ったと思っています。

介護トラブルの多い時期は、被介護者が未だ自分には日常の中で出来ることがあると思っているから、何かしたいという欲求が強いから、と今では理解出来ますが、介護の真っ最中は、とても、その様に考えられる余裕はありません。まだ、出来ると思っている被介護者の、その行動が一寸とした問題を起す事が多いので、神経が過敏になったり、当たり前のように介護者、被介護者間の衝突が起こります。結局のところ、こうした時期は、触られると危険と思われるものを排除して、被介護者の“した事”の後処理に徹することしかないのかもしれません。“後処理だけをする”そう考えることで、母との間の諍いは表面上なくなりました。たとえ表面上であっても、無くなる事が重要ではないかと思うのです。諍いが表象化されてしまえば、やがては互いにとって危険な状況に陥ってしまうことも考えられるからです。その状況を唯一変えることが出来るのは、脳が正常に活動している人以外にはあり得ません。

黙々と後処理をする・・・酷く精神的苦痛をも伴う時期が過ぎれば、予想もしなかった穏やかな日々が顔を出してくれるのは、誰にでも起こり得ることなのですから・・・

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中島和長のアートスタジオ 2010年 09年 08年サロン・デッサン招待(パリ - グランパレ) 現代美術小品展(プジョー文化センター ル・カルドール画廊など) 1999年 NY 個展 1998年 パリ個展

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見舞い

お互い、それほど親しい訳ではなかったと思います。

たまたま、中学時代のクラスメートと部活が一緒だった事から、その名前だけは聞いていました。N首相が母校としている同じ高校へ入学し、その後、芸術系へと進んだのですが、その段階で接点はありませんでした。

同業・同分野であること、居住地域が同じであることから、市民文化祭などで顔を合わせるようになり、挨拶を交わすようになりました。

彼の場合、元々余り健康的な日常生活を送っている訳ではなく、飲酒は、ほぼ毎日、タバコは吸う、塩辛いものが大好きで、おまけに、この夏の暑さ・・・とうとう、身体に変調を来たしたようです。幸いにして、周囲がその変調に気づくのが早く、緊急搬送されて軽度のダメージで済みました。

経過も良好で、今はリハビリテーション・センターに移り、社会復帰のためのリハビリ・トレーニングの毎日とのこと・・・昨日、出掛ける折がありましたので、帰りに見舞いがてら立ち寄ることにしました。

暑い中を行き、休日の入館窓口で氏名を記入し、3Fへ上がり、病室を訪ねると、ベッドが空!本人不在・・・

そう言えば、別の時に、見舞われた方が、『***さん病室に居なくて、1階のトレーニング・ルームにも居なくて、あちこち探しても分からないので、メモ書きしてきました。』と言っているのを思い出しました。(まさかね?!同じ目にだけは合いたくないなぁ~)

病室を出ると、たまたま1人のナースさんが通りかかったので、「すみません。この病室の***さんは、何処にいるか、お分かりになりますか?」と尋ねてみました。

「あぁ、***さんですか・・・・」と笑いながら答えるので、チョット嫌な予感がしました。「いつも、ナース・ステーションで話し込まれていることが多いのですが・・・」 (な・なんだって!ナース・ステーションで話し込んでる?!何やってんだか・・・) 「1階のトレーニング・ルームか、そうでなければ、この時間ですから食事されているのかもしれませんね。」

「あのぅ~食事は、何処で?」

「この階の、突き当たりの右側です。」

という訳で、とりあえず先に、食堂へ行ってみましたが、またも本人不在・・・

1階のトレーニング・ルームへ行き、トレーナーに尋ねてみますと、「***さんは、今日のメニューを終わりまして、病室の方に戻られました。」とのこと、(戻ってないから来たのですけど・・・あ~ぁ、まさかね?!になりつつある・・・) と思いながら、再び、3Fへエレベーターで上がり、ドアが開くと目の前に居ました。

「よっ!」 (よっ!じゃないだろ)

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認知症の介護 (11)

認知症を患ったからといって、異性への感心が薄れるということはないようです。男女を問わず、誰でも?!特に自分より若い異性のヌードには感心が向くようです。

その理由について断定は出来ませんが、認知症患者の妄想する多くの時間が、幼い頃の自分や兄弟姉妹に関することなので、あるいは、若い異性のヌードを自分自身に近いものと錯覚している可能性が上げられます。

母も、お笑い芸人がTVに裸で登場すると、それを笑顔で楽しげに見ていました。

正常なときは、そうした不要なヌードに嫌悪し、「この人、下品だね。見たくないね。」と、自らチャンネルを切り替える人でしたが、制御するものがなくなって、TV画面を見つめるその眼も、丁度、性に興味を持ち始めた頃の子供のように思えました。

こうして考えて行くと、認知症患者を介護するのに適した人という条件も限られてくるのかもしれません。患者と同性か、異性か、という選択肢であるならば異性の方であり、同年代か、若いか、ということであるのならば、若いということになるのでしょうが、この答えが妥当であるとも言い切れないのが、この事の難しさと思えます。しかし、まぁ、大まかに言えば、こういう事かもしれません。

ある1つの事象が参考とはなりますが、それが、自身の介護に適合するかは、それぞれのケースで微妙に異なります。こうすればいい、絶対に!とは言い切れないので、第3者からの介護に関するアドバイスは、あくまで参考ということになりそうです。それでも、各場面ごとの参考例(認知症状の進行によって、生じる様々なトラブル例)は、多く知っていて損はありません。それを、事前に知っていることが、介護側の精神的支えになるのは間違いないからです。

つい最近のことですが、私の同業の方で、まだ認知症の初期段階のようですが、ご両親の面倒看ているという人に出会いました。介護に関する比重が、彼女1人だけに圧し掛かり、結果、ご主人とは昨年に離婚されたようです。私の中にある多少の知識として、初期症状を改善するものとして、医師に処方してもらう認知症治療薬に関することを言いましたが、そのことは、既にご存知で、彼女のケースでは投薬した結果、被介護者のわがままな性格がより顕著になってしまったとのことでした。認知症薬が万能ではない、という珍しい1例かもしれません。その為、まもなく投薬をやめたようですが、それが、このケースでの最良の選択だったと私にも思えます。

介護という作業には、何に増しても寛容な心と、柔軟で広い選択肢を持つ必要があると改めて感じました。

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認知症の介護 (10)

気づけば、廊下、バスルームなど、場所を選ばず、便が落ちていたり小水をした後があったりと、こうした事も認知症を患った人を介護する側の精神的負担になる要因の1つです。何故、その後始末を、自分がしなければならないのか?!この事に不条理を感じたりもしますが、諦めるしかありません。

確実に言えることは、認知症の介護というのは、“そういう事をする”ということなのです。

介護者の、誰もが1度は、そういう経験をしています。自分だけが特別ではないのです。私も、数え切れないほど、そうした事の処理に労力を費やさなければなりませんでした。通常ならば、トイレ掃除というのは、便器の内側を掃除することですが、認知症患者の介護者のトイレ掃除は、便器の外に撒き散らされた汚物の掃除をさせられるという事なのです。

その清掃作業に当っては、幾ら本人にそれを見せ、指し示しても、残念ながら全く何も伝わりません。その作業をする事を、どう考えるかは、携わる本人次第なのです。忍従出来るのであれば、唯々それを黙々とするしかありません。何年続くのか分かりませんが、いずれは終わる時が来ることだけは疑いない事だからです。

それでも、母の場合、1つだけ効果があったのは、以前にも書きましたが、ランベンダーの香りの芳香剤を使用してからでした。それまでの葛藤する毎日が嘘のように、汚さなくなりました。ハッキリはしないのですが、感謝されるようになったのも、その前後だったのかもしれません。

気分を安定させる香り、本人が好む音楽、そうしたものが身近にあることが良い作用を生むのかもしれません。

母に関しては、他にナゾが1つありました。それは、毎日の下着をどうしているのか?ということでしたが、母が旅立った後で衣類の整理をしていて、ようやく納得出来ました。ビニールに何重にも包まれた、汚れた下着が沢山出てきたからです。その頃すでに、物理的に洗濯するということは出来なくなっていました。洗濯に出された物や汚れに気づいた物は、こちらでしていましたが、下着に関してはなかなか言いづらい面がありました。ただ、ときどき変えている様子でしたので、まだ、しばらくは本人に任せようと思っていましたが、そういう形で、母は自分なりに処理していたのだと分かり、これには、失笑させられました。母は、数十枚を越える下着の全てを使い切って、旅立って行った気がします。

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認知症の介護 (9)

介護者側の一般的な判断基準や、多かれ少なかれ、それまでの生活基盤が崩れ去ってしまうのが認知症介護に携わるという事なのかもしれません。それほど困難なものだという事は、関わった人であれば誰でも納得するでしょう。

介護者が被介護者にとって何が良い事なのか?思わしくないことなのか?もしくは、悪い事なのか?が理解不能な混沌とした状態に浸ってしまう事があります。ひどい場合は、その事で、介護者自身の精神が追い詰められてしまうケースもあるのですが、その最も大きな理由の1つに、認知症の介護には未来が描けないという切実な問題があると思うのです。

子供を育てる時には、子の成長を見られる楽しみがありますが、こと認知症介護に関しては、否応なく年齢とともに互いに衰退するばかりの毎日と向き合わねばならない苦役・苦痛を伴いますので、この事が、介護そのものの物理的な問題よりも、かなりの精神的圧迫となり得るのです。

その苦役・苦痛から解放される為には、手抜き介護をすること以外に方法はないと思いますので、早めに介護認定を受けて、区、市町村で提供している介護サービスを積極的に利用するのも1つの選択肢だと思います。母に関しましても、最終的には、そうした場所や施設のお世話になるつもりでいました。おそらく、あと2年、3年と介護が継続していたら、そうなっていたと思うのですが、それに到る前に母が終焉を迎えたというのは、本人がそれを望んでいなかったから、強く拒否していたからと理解しています。

介護サービスを受けなかった私の場合、気分転換の意味もあり1週間に最低でも1度は午後から外出していましたが、出かける際には、必ず、母の夕食分として、コンビニやスーパーで購入したお弁当と食後に食べる甘いものをセットし、さらに、冷蔵庫には別の甘いものを少量だけ目に付く場所に置いてから出掛けていました。用意する夕食も、本人の体調や、その時々の変化によって、当たり前ですが様々な変更が必要でしたが、1度だけ買いに行く時間がなくなり、冷蔵庫の中に残り物があったので、それを並べて出掛けたことがありました。途中で連絡を入れたところ、買ってきた物ではなかったので私が一緒に食事をするものと思っていたらしく、その際に食べるように言ったのですが、私が戻るまで食べずに待っていたことがありました。ですので、それからは、必ず市販のものを置くことにしました。それで、本人も私が留守にしているのを分かっている様子でした。

家電話に関しては、まだ認知症状初期の頃は、そのままにして時々外出先から確認の電話をしていましたが、症状が進行してからは留守電モードにしていました。間違えて本人が受話器を取ってしまっても、会話の内容は録音されているので、それに関する不都合は生じませんでした。

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認知症の介護 (8)

「この人は誰なんだい?私の知らない人だね。何で、こんな写真があるんだろう?」そう言うと、母は、その写真をゴミ箱に捨てました。捨てられた写真には、父が写っていたのですが、認知症状の進行した母には、それが誰だか分からない様子でした。夫婦は他人と言いますが、母の記憶にあるものは、自分の血族に関するものばかりで、それは、自分の父親、母親、兄弟、妹を中心に組み立てられ、自分の夫のことは頭の中から綺麗さっぱり消えているようでした。

ご自身の伴侶を介護されている人もいらっしゃると思いますので、そうした方には夫婦は他人という現実は辛いものと思われます、しかし、これも認知症を患った相手と上手く付き合う為には、致し方の無い事かもしれません。勿論、患った全ての人が母のようになるわけではなく、育った環境によって異なってくるとは思えます。

例えば、1人っ子で兄弟、姉妹が居なかったとか、幼い頃に父母と別れてしまい、その記憶がないとか、自身に子供が居なかった等というケースでは、それぞれに状況が異なる筈です。いずれにしましても、認知症状の進行によって、患者は今の自身の状態を認識することが次第次第に難しくなり、今に近接する過去よりも、遠い過去の方が理解しやすくなっているということなのです。

介護する毎日の生活の中で、被介護者の遠い過去の世界に介護者が同調するというのは、なかなか困難な事ですが、何度かに1度くらい、気持ちの余裕のあるときに、その非現実的な話に付き合うことで相互間の刺々しい日常が緩和されて行くように感じますが、無理だけはしてはいけない気がします。介護する側が心身ともに疲れているときは、その非現実な世界を拒絶することも必要と思えるからです。

介護者自身も楽をし、介護の手を抜くことで、さほど面白くはない介護というものと長く付き合って行けるのではないでしょうか?

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